追悼文13 櫻井博士と英語教育 ローマ字ひろめ会
大西雅雄
 Romaji Dai  3Go  XXXW    no Maki S14.2.15
 

 櫻井錠二博士が有せられた要な地位と指導的関係の内で、博士の個人的立場から最も深く関心を継がれたのは、恐らく我国の英語教育充実の事であったろうと思われる。この英語教育に対する深き理解が軈<ヤガ>て博士をして標準式ローマ字綴りに対するよき擁護者たらしめた事は当然である。

 人も知る通り、博士は早き日に於いて文部当局より派遣されてロンドン大学に研鑽を積まれいる。先般、倫敦に於ける国際科学会議に出席中、ロンドン大学からHonorary Fellowに選ばれたのも、博士の学界に於ける多年の功績と同時に類稀なる崇高な人格からして尤も至極の事であった。

 博士が我が英語教育界へ公然と援助を与えられたのは、昭和3年故澤柳政太郎博士の後を襲って英語教授研究所の理事長に就任せられた時からであった。爾来、昭和12年博士がロンドンの会議に赴かれる時まで満十箇年の間、研究所を指導せられた。之は単なる名儀ではなく実際に理事会に出席し、教員大会に臨席して、親しく教授法の改善を激励し国際心の涌養<抑揚?>を指導せられたのであった。従って博士があの温顔をもって、流暢な英語を語られ精錬された英文を朗読された事は、今尚全国英語教育家の間に深き感銘として残っている。

 今、この大樹の倒れた折に望んで、博士を偲ぶ思出は多々あるが、特にローマ字問題に関連して自分の関知するニ、三の印象を記して見よう。確か昭和七年の事であった。私は前の英語教授研究所長パーマ氏の著The Principles of Romanizationの結論が「日本式」と「標準式」との両端を持するものであるので、氏が年俸一万円の禄を食む文部省語学教授顧問(Linguistic Adviser to the Department of Education)の地位との矛盾を一文に草した。

 之を、同研究所々報に寄せたのであったが、問責がパ氏の立場を苦しめるの故を以って、果然、理事会の議題にのぼった。大体、英語教育家でローマ字問題を正解し熱意を有する者は今尚少数であるが、当時の理事諸公も矢張りそれを反映して居った。この時に当たって、「大西君の文章は純理論であるから、掲載する事に少しも差支えないじゃないか」と提言されたのが実に理事長櫻井博士であった。所が更に他の理事の発言で当事賜暇帰英中のパ氏が再び来朝の上改めて氏の諒解を得て掲載しようと、条件が付帯されたとかで一先ず原稿は私の手に戻された。私は理事会の空気を察知したのと、数ヶ月先の来朝を待つ事の無意義を思って原稿は破棄してしまったが、櫻井博士の正義感と確乎たる信念とには深き感激を銘した。

 その後、臨時ローマ字調査会があの最終決議をした時、私は研究所々報に「英語教授から見たるローマ字綴り」の一文を載せた。之は新決議の支持者に対しは現実上最も痛い所であったと見え、早々T博士は余分の墨<=本=研究所々報>を買いに現れたり、例によって子分をして反駁<ハンバク>文を投ぜしめたりした。この時も、櫻井博士は「君の言ってた通り」、英語の中では英語に通ずる綴りでなければ、日本語が勝手に変えられる事になりますよ」と述懐された。

 櫻井博士のこの言は、その後新ローマ字を所々に実施して見たものが誰よりもよくその苦哀を体験している筈である。郵船会社は畏<カシコ>くもわが秩父宮と同名の「テイテイブ」とか「タイタイブ」と外人に呼ばせたくないと言う国語愛から「鎌倉丸」に逃避した。凡そ個人的な逃避は卑怯には違いないが、留まって奮迅の出来ないものなら、せめて冒涜の途を避ける事は消極的愛国心とでも言えよう。

 新聞の表題でも定冠詞   “The”  を附する時はその後にくるものが英語の構成表であるから、            ”.Shimbun” とするのが純理であり、当然である。之を “Shinbun” などとすれば国語音が「勝手に変えられ」て不合理であるのみならず、併せて外侮を受けることにもなろう。外人に読ませるのが目的でなければ、所詮ローマ字の使用は廃めて仮名と漢字で十分なのである。

 櫻井博士の激励は英語教育家大会(昭和11年秋)を奮起させる潮流となっているが、文部省の無自覚な教科書検定方針に対しては、次のような方法で、櫻井博士の御遺志を実現されている事を御報告して、せめてものお慰めとしたい。教育家大会の決議は「英語教材中に標準式綴字の行われている以上、その教授を廃す事は出来ない」という当局を慮<オモンバカ>っての消極的なものではあるが「教材」が英語という言語である以上、検定された教科書と限定されたものでない事申すまでもない。

 しかし、今仮に「教材」を教科書だけと見た所で深慮ある某々教授の編纂を見ると、例えば「富士」はHuziMt. Fuji)としてある。即ち官庁式は特殊表記法 Huzi であって、英語の構成素はどこまでも Mt. Fuji である事に変わりはない。(この事は一例に過ぎないが、もし世に軽率浅慮な編纂家があるなら、之はよき警告であろう。)

 前述の英語教育家大会の出欠回答に市河三善博士は、「私の名前は S. Ichikawa に変わりありません。」と簡潔にして最も強い支持を与えられた、が博士は現在櫻井錠二博士の後を継いで英語教授研究所第三代の理事長である。尚、Dr. Ichikawa の周囲には、幾千幾万の英教育の同士がいて、之らは英語に通じない綴り字を決して求めてはいない。尚更に、又之らの周囲には古今に至る英語文化と経済現実となって全世界網を成しているものがある。

かくて、櫻井博士の御遺志は、今後、世界から英語という一つの言語が消失するのでない限り、決して消滅の恐れはない。それは言うまでもなく、単純に si, ti, tu, を排斥するものではなく、それらはそれ固有の音価(「スィ」「ティ」「トゥ」の為に保留しておき、醇正なる我国語音「シ」「チ」「ツ」を曲げて其の所へ持って行き度くないという国語愛に発する世界心に外ならないからである。英語の世界も亦、さような売国的行為を求めはいないからである。

世界的学者、Dr. Joji Sakurai は,永久にその綴に於いて、わが正確なる国語音を伝えつつ全世界に記念せられる事であろう。

追  悼  文
  1    大幸勇吉   2     柴田雄次   3      片山正夫   4     市河晴子
  5     阪谷芳郎   6  Yamaguchi Einosuke   7     桜根孝之進   8    佐佐木信綱
  9   Mizuno Yoshu   10    小原喜三郎  11     宮崎静二  12    奥中孝三
 13     大西雅雄  14     大幸勇吉  15      柴田雄次  16     鮫島実三郎